各々別の動画ですが1900年のソウルの様子と1931年の様子を撮影した貴重な動画アップされていましたので、それぞれの反応をご紹介いたします。一部を切り取っただけですのでこれだけでは比較はできませんが、1930年のソウルは日本の様な街並みが印象的です。但し1900年の映像も実際にはもっと後ではないかという指摘もありました。ちなみに日本の朝鮮半島統治は1910年8月29日~1945年9月9日までとされています。
■1900年のソウル 動画はこちら
■1931年のソウル 動画はこちら
■1930年代のソウルその他 動画はこちら
■1910年のソウル 動画の海外の反応
●とある外国人
今日の世代は本当に幸運です。 私が80年代初頭にソウルにいたとき、いくつかの地域では過去のこのような痕跡を感じたよ。彼らの経済は80年代半ばのソウルオリンピックの直後から活況を呈してたよね。 彼らの国が貧しい国から世界の富める国のうちの一つになる過程を見たよね。彼らの努力は報われた。
●とある外国人
1950年に北が侵略したときの赤ちゃんは50代になるでしょう。祖父母の世代を赤ちゃんとして見るのはとても奇妙だな。
●とある日本人
タイトルが正しいならまだ日本統治の10年前です。1905年に日露戦争があってその結果朝鮮が日本の保護領になります。そして5年後である1910年に日朝合邦です
↑●とある日本人
この映像は日本統治時代ですね。初期ですかね。仁丹は日本の会社だよ。
↑●とある日本人
そうなんですね。
統治まえの新聞の朝鮮通信欄をみると、日本人が朝鮮半島でコレラの衛生指導に日本人が着任したり色々韓廷と関わって居るようだから、日本の仁丹の看板もあるんですね。
↑●とある外国人
日本の植民地支配は1910年からですが、1899年からはアメリカ、イギリス、日本、清の軍人が韓半島にすでに駐屯していました
●とある日本人
これは絶対に1900年じゃない!
0:15の右の電柱に「仁丹」(JINTAN)と書いてある。仁丹は1905年に商品化され発売された。だから1900年に仁丹が存在するはずがない!
↑●とある外国人
彼は、この映像は1900年には撮れないと主張している。日本語で書かれた広告があるからだ;-)
●とある外国人
このビデオは素晴らしいね。このような歴史を垣間見れるのは面白い。
●とある外国人
この頃の韓国人は思ったよりずっと肌の色が濃く見えるね。
↑●とある外国人
多分それは映像の問題じゃないのかな?
↑●とある外国人
人間は元々熱帯での動物で、私たちは裸で生まれる。熱帯の条件で裸で生き残ることができるのは、茶色の肌の人間だけだ。明るい肌は移住などから来ているんじゃないか…
↑●とある外国人
彼らは一日中外にいたからでしょ! 韓国人は今では肌を覆い隠し、日焼け止めと美白クリームを使うし。
■1930年代のソウル 動画の海外の反応
●とある外国人
アマチュアの映像なのに驚くほど良い品質だね。 これだけ古いの物はもっと劣化していたと思っていたよ。
●とある外国人
3:17から9:07までは日本の統治下の韓国ではないね。 インドシナ半島のポリネシア、または日本が占領している中国南部かな…. 11:04から、マッカーサーの支配下にある日本です。
●とある韓国人
やはり日帝時代は、現在の北朝鮮よりもはるかに優れている……
明洞の街で朝鮮人と日本人がショッピング….
↑●とある韓国人
親日はどこにでもいるな。
●とある外国人
明らかに韓国の人々は1900年代初頭の詳細について話すことを避けているよね。 彼らは朝鮮半島で何百万人ものレイプや大量虐殺を行ったとして日本を非難している。 しかしこの主張は意味がない。日本は限られた人的資源、弾薬をそのような非生産的な大量虐殺のための供給資源をなぜ浪費することができたのでしょうか? どのような利点がありますか? 私は一部の韓国人にこれらの質問をしたことがあるが、彼らは突然、論理的でなくなった。 議論はなかなか歴史の詳細を超えることは出来ないね。