youtubeの歴史チャンネル、History Mattersに日本は敗戦後もなぜ皇室制度、天皇(昭和天皇)を維持できたのかまとめた動画がアップされ多くの海外からのコメントが溢れていましたのでご紹介します。
■動画はこちら
以下海外の反応
●とある外国人
なぜ天皇は日本で維持されたのか?
ドイツ皇帝後のドイツに何が起こったか見てください。
↑●とある外国人
皇帝はドイツでは神の姿とはみなされておらず、
権力を分散するような人物ではなかった。
↑●とある外国人
ジョーク?
↑●とある外国人
第二次世界大戦の日本とは異なり、第一次世界大戦後のウィルソン大統領の条件の1つは、ドイツ皇帝が退位することだったからね。ルーデンドルフ、ヒンデンブルク、フォンバーデンなどのドイツ政府の指導者たちは君主主義者でありそれを受け入れたくなかった。1919年後半までドイツの人々はリープクネヒトとローザ・ルクセンブルグが率いる急進的な左派を除いて皇帝を支持していたんだ。
●とある外国人
今後以下の2つビデオのアイデアが出てくるな:
第二次世界大戦後、イタリアが他の枢軸国のように裁判にかけられなかったのはなぜですか?
なぜ中国、フランス、ロシア、イギリス、アメリカが国連安全保障理事会の常任理事国であるのはこの五か国だけなのですか?
↑●とある外国人
第二次世界大戦の同盟国は中華民国、ソビエト連邦、大英帝国、フランス、アメリカ。 なので彼らは国連を自ら設立しその他の国に対し力を保持し、拒否権を持つ常任理事国になる必要があったのだろう。
●とある外国人
天皇が政府に対して何の発言もできないことは、日本の戦後憲法にも明示的に書かれています。 首相率いる国会がすべての権力を握っている。 これは一般的に立憲君主国における規範であるが、実際にそれを法律に入れる場合は殆どないけど、一つの例としてはスウェーデンだね。 厳密にはエリザベス女王2世は国会を解散させ予備の権限をもって統治することができるけどね。
↑●とある外国人
エリザベス女王2世は、2011年の期限付き議会法で議会を解散する権限を失ったはず。
↑●とある外国人
知らなかったけど調べたら本当だった。
●とある外国人
歴史的に言えば、ヒロヒトは立憲君主制の信徒であり、政治に介入することはほとんどありませんでした。 「天皇の権利の執行は、大臣の助言を通じて行われる」との部分の解釈の仕方について、助言が要件であるか否かの議論があったけどね。 ヒロヒトはいくつかの例外を除いてほとんど議会の決定に従っていたんだ。
1.超国家主義グループが大臣を暗殺して権力を奪おうとしたとき天皇はクーデターの完全征服を命じた。(※注釈:226事件のことを指していると思います)
2.日本が降伏を宣言したとき。 法的に言えば彼には戦争が起こらないようにするすべての権利と権限があったが実際に彼がしたことは議会によって決定されたすべてを承認することだけだった。
●とある外国人
実は、マッカーサーが裕仁と話をしたときに、天皇は「私の命はどうなっても構わない、私の名前の元で事を行った人々をお救い下さい。」と言ったんだ。 マッカーサーは天皇の無私無欲さに感銘を受け、何としてでも天皇を守りたかったんだ。
※その場面に立ち会った通訳の証言
●とある外国人
ここを見てる俺たちはみんな歴史が好きだなー
ttps://youtu.be/-6VRESxVT4wより翻訳